〒520-2153
滋賀県大津市一里山2丁目2-5 山中テナント1階
TEL:077-547-1300 / FAX:077-547-1301


クエスト不動産ブログ / Quest Blog.

弊社ブログ、社員ブログを更新公開しております

コロナ騒ぎの確信犯の国立国際医療研究センターの御用学者医師①

2021/06/23

この人物と上司をしっかりと覚えておきましょう。

自宅療養者に『アビガン』や『イベルメクチン』を配布できるようにされていれば、100人近く今年に亡くなった自宅療養者が救われていたかもしれません。

どうも大阪大学へ栄転するようですが、業務上過失致死の疑いがあります。


~~

 -BuzzFeed Japan- 2021年6月17日記事

『アビガン推し、自称専門家のコメント..... コロナ診療の最前線にいた医師がなぜカミソリを送りつけられた?』


https://news.yahoo.co.jp/articles/14a60b5c2ffbe75194e487cfca459cb3e63e8aaf >



新型コロナウイルス感染症診療の最前線に立ちながら、一般の人にもわかりやすく最新情報や感染対策を伝えてきた「くつ王」こと国立国際医療研究センター国際感染症対策室医長の忽那賢志さん。7月から大阪大学医学部感染制御学講座の教授に就任するタイミングで、大きな足跡を残したこの1年半のコロナ対策を振り返ってもらった。
【BuzzFeed Japan Medical/岩永直子】



武漢チャーター便、初期の手探りの治療


ーー忽那先生がコロナ対策をスタートしたのは、中国・武漢からの患者受け入れが最初ですか?


そうですね。最初の方は1月下旬ぐらいで、武漢からの旅行者でした。春節のお休みで旅行していた人です。


ーーその後が武漢からのチャーター便ですか?


そうですね。その後、武漢がロックダウンした影響により、政府のチャーター便で日本人が帰国することになりました。国際医療研究センターで受け入れ、帰ってきた人皆にPCR検査をしました。

そこからずっとコロナの話ばかりですね(遠い目をする)。そこから人生が、生活がコロナ一色になりましたね......。


ーー初期はこの感染症の正体もわからないし、対応が大変だったと思います。最前線の医師としての課題は何でしたか?


確かに未知の感染症ですから、どういう風に一般の方に情報を伝えるかは初めての経験でした。過剰に怖がらせてもいけないし、「大丈夫大丈夫。風邪みたいなものだから」というのも間違っています。

それまでにわかっていることを客観的に伝えることをしていたのですが、それがどれぐらいうまくいったのかと思います。

診療の上ではわからないことはもちろんたくさんありましたが、ただ、コロナウイルスの一種であることはわかっていました。

うちの病院は、これまでも新興感染症対策の拠点としてSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)という重症化するコロナウイルスの疑似症に対応してきた医療機関です。元々、そういう訓練をしてきたスタッフが診療に当たり、多少慣れていたところがあります。

その意味で、最初からすごく混乱があったわけではありません。

第1波の前半ぐらいまでは感染症指定医療機関だけが患者を診ていました。専門的に訓練している施設だけが診ていたので、感染対策的に大きな破綻もなく、感染者が多くないうちはある程度うまくいっていたと思います。

またその頃は治療法がなかった。初期は抗HIV薬のカレトラなどを使っていましたね。または抗マラリア薬のクロロキンもです。ひょっとしたら実験室のデータで効果があるかもしれない薬を、患者の同意を得た上で手探りで使っていました。

これも初めての経験です。新しい感染症に対して、どう適切な治療をしていくか判断するのは難しかった。

カレトラもクロロキンも後から効果がないとわかってきて、すぐ使わなくなりましたが、その時に飲んでいた人たちにはむしろ有害だったかもしれません。それは情報がない段階でのできる限りの治療でした。


当時、診ていたのは指定医療機関だけ どんどん増える患者に「これは保たない」


ーーその後、2月のダイヤモンド・プリンセス号に移るのですね。


ダイヤモンド・プリンセス号はうちが中心になって診ていたわけではありません。ただ、うちは外国語対応が得意な施設なので、日本語が話せない外国人や、親子で感染して離れ離れになれない外国人、重症例を担当していました。

チャーター便の時は、コロナに感染した人も何人か診ましたけれど、全員軽症でした。

でもダイヤモンド・プリンセス号の時はコロナで重症化する人たちが次々と現れて、「これは本当に恐ろしい病気だな」と初めて実感しました。インフルエンザとは全く違うなという認識です。

年齢でここまで状態が違うのかと思いました。若い人と高齢者では全然重症度が違う。


ーーそういう感触も得てきて、医療が逼迫し、「これはやばいぞ」と思われたのはいつ頃ですか?


3月下旬ぐらいですね。ダイヤモンド・プリンセス号の時は、実際に日本でどれぐらい広がるかはまだわからなかったのです。

あのクルーズ船の感染者から日本には広がっていません。その時は「このまま日本で広がらなければいいな」と淡い期待を持っていたぐらいです。

第1波は欧米からの持ち込みであることがわかっていますが、渡航制限が遅かったこともあり、3月下旬に明らかに都内で感染した人が増え始めました。3月上旬ぐらいはまださっぽろ雪まつりなどが話題になっていて、そこに観光に行っていた人を診ていました。

そうこうしているうちに都内でどんどん感染者が出てきました。当時、東京都は感染症指定医療機関だけが診ていたので、他の病院では診られず、毎日5人、6人以上どんどん入院してくる。

当時は重症化した人や重症化リスクの高い人が優先的に検査・診断されていましたので、重症度の高い方ばかりが搬送され「これは保たない。ヤバい」とその頃、初めて感じましたね。


ーー医療体制が柔軟ではなかったことが響いたということですか?


最初は行政も指定医療機関だけで診られる感染症だと想定していたと思います。しかしそこを超えて広がった。

ただ、指定医療機関以外の病院が、いきなり「コロナの患者を診てください」と言われても、元々そういうことを想定していない施設がほとんどなので、対応は難しかったでしょう。

最初の緊急事態宣言後に指定医療機関以外でも対応できる病院が大学病院を中心に増えてきて、そこから少し負担が軽減して、第1波がしのげたかなという感じですね。



~~


ダイヤモンドプリンセスの時から、国立国際医療研究センターが暗躍し出します。

ワザと缶詰めにして、新型コロナの培養をし、37.5度4日間や、通常の病院で診察できないようにしました。

『レムデシビル』をゴリ押しして、『アビガン』を徹底的に叩きました。

さらに、今は効果の怪しいワクチンをゴリ押ししています。


②に続く



クエスト不動産経営管理(株) 石光良次


Copyright(c) 2016 QuestPropertyManagement All Rights Reserved.